武富士が倒産した理由は?武富士の闇と悲惨な最期・その後まで徹底解説

武富士

かつてプロミスやアコムを抑えて消費者金融の最大手だったのが武富士です。

しかし、武富士は2010年に経営破綻を起こして2017年には完全に消滅しています。

このページでは武富士はどんな会社だったのか、武富士が創業から倒産までどういった流れを辿ったのかについて解説していきます。

また武富士に関する事件についても解説するので、そちらもチェックしておきましょう!

武富士はどんな会社だったのか

武富士はどんな会社だったのかを一言で言うならば「無茶なワンマンでかつてトップだった消費者金融」です。

詳しくは次から見ていきましょう。

業界トップの消費者金融だった

最初に説明した通り、武富士はかつて消費者金融の中でもトップの売り上げを誇っていました。

以下は2001年3月期の大手4社の売上高です。

消費者金融 売上高
武富士 4021億円
アコム 3757億円
プロミス 3596億円
アイフル 2807億円

武富士として営業を始めたのは1974年ですから、およそ15年程度で業界最大手の消費者金融になっています。

この異常とも言える急成長の裏には、現在のブラック企業も真っ青な経営体勢がありました。

詳しくは次から見ていきましょう。

当時から評判は最悪

武富士は異様な経営体制で営業しており、高額高金利での貸付は当たり前、深夜や早朝での取り立てなど日常茶飯事だったと言われています。

以下に後の裁判で明らかになった武富士がおこなっていたことをまとめました。

  • 業務時間外にティッシュ配りや催促の電話をやらせていた
  • 成績が悪い社員には物を投げつけるなどのパワハラが横行
  • ノルマが達成できない場合は社員の給料から立て替えさせた
  • 初任給や昇給の際は経営陣らに感謝の手紙を書かせる
  • 出勤時と退勤時に創業者の写真へ向かって挨拶させる
  • ノルマが達成できないと支店長や上司から非難される
  • 創業者の次男が定期的に支店を訪れ従業員に暴言を吐く
  • 創業者の取り巻きによる暴行
  • 返済が困難である場合は利用者の親族や友人に返済させる
  • 信用情報データを改ざんして返済能力を超える額を貸し付ける

奇抜なCMを放映していた

また、武富士は女性が黒いレオタードを着て踊るという斬新なCMを放映していたことがあり、記憶に残っている方もいるでしょう。

一説には「黒いレオタードは社長の趣味」とも言われていますが、真偽のほどは定かではありません。

またこの頃は消費者金融のCMは深夜帯に放映されていたため、セクシーなCMで夜更かしをしているサラリーマンに印象を残す戦略があったとも言われています。

武富士の創業から倒産までの流れ

以下に武富士の創業から倒産までの流れを年表形式でまとめました。

日付 出来事
1966年(昭和41年)1月 武富士の前身である個人事業「富士商事」を設立
1968年(昭和43年)6月 「有限会社武富士商事」設立
1974年(昭和49年)12月 「株式会社武富士」に改組
1991年(平成3年) 元警視総監の福田勝一を非常勤顧問として迎える
1996年(平成8年)8月 店頭(JASDAQ、現在のジャスダック)市場を公開
1998年(平成10年)12月 東京証券取引所第1部上場
2000年(平成12年) ロンドン証券取引所上場
2000年(平成12年)12月頃 ジャーナリスト宅盗聴事件が起きる
2001年(平成13年)5月 武富士弘前支店強盗殺人・放火事件が起きる
2002年(平成14年)11月 日本経済団体連合会へ加盟
2003年(平成15年)3月14日 週間金曜及び記事を執筆した三宅勝久に対し、名誉毀損であるとして5000万円の損害賠償を求める民事訴訟を提起
2003年(平成15年)12月 ジャーナリスト宅盗聴事件が起きる
2004年(平成16年)9月 週刊金曜日と記事を執筆した三宅勝久に対する名誉毀損訴訟で武富士側の完全敗訴が言い渡される
2004年(平成16年)11月 ジャーナリスト宅盗聴事件により創業者の武井保雄に懲役3年・執行猶予4年、また法人としての武富士に罰金100万円の判決が下される
2005年(平成17年)3月 武富士が週間朝日へ「編集協力費」として5000万円を支払ったにも関わらず武富士の表記がされていない件を週刊文春がスクープ記事で報じる。後に朝日新聞は編集協力費の返還と社内処分を実施
2006年(平成18年)9月 週間金曜日から不当提訴による損害賠償を求める訴訟が提起される。東京地裁は武富士と武井前会長に賠償を命令
2009年(平成21年)12月 朝日新聞により「武富士は資金繰りの悪化により貸し付けがほとんど停止しており、資金調達を急いでいる」と報じられる
2010年(平成22年)2月 2009年12月期四半期決算短信が開示される。短信には資金調達の困難等により、継続企業の前提に関する重要事象等の注記がなされていた
2010年(平成22年)5月25日 債権を「富士クレジット」に譲渡
2010年(平成22年)9月27日 日本経済新聞などの報道機関が「武富士は会社更生を申請する方向で調整をしている」と報道。武富士はこれを否定
2010年(平成22年)9月28日 武富士は前日のコメントを撤回し、午後に行われた取締役会で会社更生手続きを行う事を決定。同日に東京地方裁判所に申請し受理された
2010年(平成22年)10月31日 東京地方裁判所(渡部勇次裁判長)によって更生手続が開始
2010年(平成22年)11月12日 ロンドン証券取引所から上場が廃止
2011年(平成23年)4月9日 韓国の消費者金融A&Pフィナンシャル社が武富士を買収することが明らかになる
2011年(平成23年)10月5日 会社が創業家等に対して損害賠償を請求
2011年(平成23年)10月31日 東京地方裁判所が会社更生計画の認可を決定
2011年(平成23年)12月5日 元利用者が旧経営陣へ55億円の賠償を求める
2012年(平成24年)3月1日 ロプロに事業譲渡。同時に事業譲渡後の旧法人はTFK株式会社に商号変更
2015年(平成27年)5月8日 元利用者による過払金返還訴訟のうち、大阪地方裁判所にて訴えの一部が認められる
2017年(平成29年)3月17日 更生手続終了によりTFK株式会社が消滅

武富士に関する3つの事件

武富士にまつわる世間を賑わせた3つの事件としては、以下などが挙げられます。

  • ジャーナリスト宅盗聴事件
  • 武富士弘前支店強盗殺人・放火事件
  • 元専務への課税取消事件

概要や顛末など詳しくは次から見ていきましょう。

ジャーナリスト宅盗聴事件

ジャーナリスト宅盗聴事件とは、武富士にとって不利な記事を執筆していたジャーナリストの自宅へ武富士の指示によって盗聴器が仕掛けられた事件です。

盗聴器の設置には当時武富士のトップだった武井保雄氏の指示があったとされ、後に懲役3年・執行猶予4年の判決が下されています。

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件とは、武富士の弘前支店にて男性Kが強盗目的で押し入り、火を放った事件です。

火災は店内全域に広がり、同支店の社員5名が死亡、社員4名が重症を負っています。

男性Kが火を放った原因は支店長が要求を断ったことにあり、背景には本社からの無茶なノルマがあったとされ、武富士の経営体制の批判に繋がりました。

なお、男性Kは2002年3月4日に逮捕され、2014年8月29日に死刑が執行されています。

元専務への課税取消事件

武富士の専務だった武井俊樹氏は、武井保雄から約1600億円もの資産を生前贈与されていました。

その後税務調査によって、申告漏れが発覚し約2930億円もの税金を納付しましたが、俊樹氏は「当時は香港に住んでいたため、日本の法律は適用されない」と告訴。

最高裁にて国税側が敗訴し、俊樹氏は納税した2930億円に加え利子にあたる還付付加金として400億円を受け取りました。

こうした一連騒動を受けて2000年の税制改正では「相続人と被相続人が5年以上海外居住を続けていなければ、非課税にならない」という5年ルールが盛り込まれました。

なお、2017年には5年ルールがさらに厳しくなり10年に変更され、富裕層の課税逃れの取締りは強化されています。

武富士はかつて業界トップだったが、今はなにも残っていない

このページでは武富士が倒産した理由や、倒産した後にどういった経緯を辿ったかについて解説してきました。

武富士が倒産に至った理由はその悪質な経営体制にありました。

武富士の倒産以降は多くの消費者金融で経営の健全化が図られたため、現在残っている消費者金融で武富士のような末路を辿ることはないでしょう。

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